2007年05月29日

三因寺高田穣氏 金勝・井上地区(2007.5.13)

【高田穣さんプロフィール】
 数え81歳、近江歴史街道クラブの副会長を昨年度までつとめる。
 栗東町史の編纂、市の社会教育課、公民館長を歴任された。
 三因寺の先代住職。

【ヒヤリング内容】



◇井上地区集落の形成について
  ・現在も、農具(山林の農具)、古文書、お膳、かまど、仏壇、仏具神棚、古地図、
   言い伝え などを調べる活動をされている。
  ・井上地区は、ほぼ2キロ×1キロの大きさ。
   だが、その中に大きな岩がある → 岩座 (イワクラ)
   古墳がある中世の居館がある。20を超える寺が存在している。
   そして、寺の歴史を遡ると、金勝寺に行きつく。
   ①井上にある寺は、金勝寺で修行した僧が、暮らしの為、山から下りて、
   在地に寺を建立したのではないか。
   ②又、井上は、金勝寺で暮らす僧侶の食べ物の供給地であったのではないか。
   ③山に頼った生活をしていたのでは。
   大きな杉(神木)山の神(1月7日に祭りを行う)、山の神の祭り
   ④山の境では、争いがあったのでは。
   牛は、農を営む為の重要な道具だったので、「牛の三昧」→「牛の墓」の跡が今も残る。



◇金勝寺について
・733年(天平5年)東大寺建立と同時期に金勝寺が建立された。
金勝寺は「日本霊異記」中巻第21によると「金鐘寺」と記載されている。
東大寺と金勝寺には、何かつながりがあったのでは。
・延暦寺の延焼時には、金勝寺も焼けた。
・金勝にある磨崖仏は、韓国・慶州の磨崖仏とよく似ている。
鉱物を使って表された色(塗料)は、奈良や京都の寺にも使われているが、
これは、天平時代以前の白鳳時代の渡来人の技術では。
◇「金勝」を「こんぜ」と呼ぶ言われ
・大津に「黄瀬」「キノセ」という地名がある。
 これは、「木の瀬」→「木のせせらぎ」→「材木を流す」ではないだろうか?
・「金勝」→「金の瀬」→「金のせせらぎ」→「金とは鉱物」→「鉱物を運んだ瀬」
・金精明神(鉱物が採れる山にある)が現存することからも上記の事が推測される。
◇栗東には、木にまつわる民話がたくさんある
・栗東は、以前、栗太郡であった。栗太郡 → 栗の巨木
・現存の市役所近くに栗の巨木があったという一つの言われ
・燃やしても、翌朝には新芽がでている 「栗田伝承」
・もう一つの言われは現在の六地蔵、とある倉庫の建つ以前、土地開発の際に地面を
掘り起こそうとするとコツコツとあたるものがある。それは、約八畳間の二倍の大きさで、
木の切り株の炭化したものでは → 栗の巨木のあった場所では? 「栗田伝承」
◇その他地名の言われ
・「葉山」  巨大な栗の木と関係→栗の葉の山?
・「葉山川」 栗の葉の流れた川?



高田さんの語り・・・



◆ヒヤリング日
平成19年5月13日
◆参加
山本、河本、田中、日下部、松崎(記録:日下部)
◆ヒヤリングを終えて・・・
髙田さんの言葉から、当時渡来人が金勝地区をゆったりと往来する様子が想像出来、
又、今ある私達は歴史の中で遠い昔の人とつながっているという歴史の重みを感じた。
独自の研究、調査による仮説だがと前置きしながらの高田さんのお話は時の経つのを
忘れるほど、悠久のかなた太古の昔からの人々の営みを想像させていただけるものでした。